天使たちの楽園 #小説

 風が心地よい。

 私は自由だった。
 仲間たちに恵まれ、空を自在に駆け回ることができた。
 手足を動かしてひと飛びすれば、世界の端から端まで旅することができた。
「ねぇ、今日はどこに行く?」
「あっちの洞窟を通り抜けて見ようよ」
「またあそこ? ……ふふ。好きね」
 必要なものは何でも揃い、満たされた毎日だった。

 でも、あるときから、私は不幸になってしまった。

 それは、あの人に恋をしたときから。
 彼は、私たちとは違う世界に住んでいた。
 彼は、一日に二回、決まった時刻にやってくる。
 そして必要な物だけを渡すと、すぐに帰ってしまう。

 私は、ずっとあなたと一緒にいたいのに。

「あなたのことが知りたい」
 あるとき、私は彼に訊ねた。
『俺かい? そうだなぁ。水槽で、魚を飼っているよ』
 彼は淡々と答えた。
 私は激しく嫉妬した。魚なんかにあなたの愛情を奪われたくない。
『そら、いつものやつだ』
「ありがとう」
 私は歓喜して受け取った。

『じゃあな』
 あっという間に、またお別れの時が来てしまった。
「待って!」
 私の声は、彼には届かなかった。
 彼は世界の外を指差した。
『お客さんも待ってるぞ』

 ドンドンと、外から音がする。
 行儀の悪い子供たちが強化ガラスを叩いていた。

 そこは、水族館の中だった。

(終)


小説家になろう掲載作品

人魚姫のうた #詩

海のお姫様
貴女が陸に上がったのは
想い出の海に
溺れないためだったんだね

大好きだった人間を
想い出すだけの
深い追憶の海に
 
 
不器用なお姫様
貴女が言葉を手放したのは
心を隠すためだったのかな

喜びも切なさも恋心も
深い深い
沈黙の奥底に
 
 
美しいお姫様
貴女が空気になったのは
ずっと この星に
残るためだったの

あるいは
心も想い出も 何もかも
捨て去ってしまうため

あの海の 彼方に
 
 
アンデルセン作『人魚姫』に寄せて)

 

暗闇から抜け出して #小説

 僕は一人きり、この真っ暗な世界で生きてきた。
 この世に生まれてから、ずっと。

 外の世界はもっと明るく、色彩に満ちているらしい。でも、そんなことはどうでもよかった。この闇の中でも、音と匂いを頼りに生きていけるのだから。
 僕は誰にも頼らず、一人きりで生きていた。

「外に出たことがないだって!? なんてもったいない!」

 ある日、外の世界からやってきたという少年が言った。少年は、この闇世界でしか手に入らない水晶を探しに来た、トレジャー・ハンターだった。
 大きなお世話だ、と僕は思った。でも、客人に無礼を働いてはいけないという決まりがある。いくら一人で生きているとは言え、集落を追われると面倒だ。なので、僕は黙っていた。
「行こう」
「え?」
 彼は強引に僕の手を引き、外界へつながる階段の方へと走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってよ。君、黒水晶を探しに来たんじゃないの」
 それは後でいい、と彼は即答した。
 めちゃくちゃだ、と僕は思った。
 この少年は、僕だけの暗く静かな世界に、ずかずかと音を立てて踏み込んで来る。族長はなぜ、僕に彼を案内させたのか……。
「君は一人ぼっちなんかじゃないよ」
 どきりとした。彼の言葉は、まるで僕の心を見透かしたかのようだった。
「生まれてからずっと、一緒にいるじゃないか。見せてあげる」
「え……?」
 少年と僕は手をつないで階段をひたすら登った。
 あるとき、空気の温度が変わった。地上はもうすぐだ。

 外の世界への扉が開いた。途端に、目を灼くような光と色の洪水が飛び込んできた。
 ほら、と彼が言う。
 僕は恐る恐る、ゆっくりと目を開く。

 彼が指差していたのは、僕の足元だった。
「これって……」
 僕はまじまじとそれを見つめる。
「今まで見えなかったかもしれないけど、どんなときもずっと一緒にいたんだよ。うれしいときも、つらいときも、君に寄り添い、君のどんな話も黙って受け止めてくれる」
 それは僕の影だった。
 生まれて初めて見た空の下で、僕は生まれて初めて影に出会った。

 僕が影に手を振ると、影も僕に手を振り返してくれた。

 影が笑った、気がした。

(終)


小説家になろう掲載作品