よくわからないことが「かっこいい」と感じる中二病的心理効果について #エッセイ

 後半は、小説を書く身として思った内容になっています。
 読むだけの人も、「こういう見方もあるのか」と思ってもらえるかも。

 気楽にさらっと眺めていただければ、と思います。


 聞いたこともない単語が不思議とかっこよく思えたり、理解できないことを話している人を「すごい」と感じたことはないだろうか。私は、ある。だが、冷静に考えてみると、その感覚は全く合理的ではない。「わからない」ことが必ずしも「すごい」「かっこいい」ことはないのだから。
 このような現象は、一種の「中二病」と言ってよいのではないか。あるとき、そう思った。

 上のように、「よくわからない文言がかっこよく見える」感覚は、私に限ったものではなく、割と一般的なものだろうと思う理由が、いくつかある。
 例えば、日本人は「英語コンプレックス」と聞くことがある。英語を使っているとかっこいい、英語を喋っている人はかっこよく見える。これはたぶん、多くの日本人の心に根付いている感覚ではないか。
 歌謡曲に英語混じりの歌詞が多いのも、こうした日本人の英語コンプレックスが背景にある、という見方もできるのではないだろうか。

 衣服に英語のプリントが施された物もある。その言葉の意味を考えることなく、単に「デザイン」として見て買う人もいるのではないか。
 同じ意味の言葉が日本語の文でプリントされていたらどうか。「買わない」という人も多いのではないか。
 「意味がわからないからよい」そういうこともありそう。

 逆に、外国人に漢字がウケるという話も耳にする。
 「炎」という漢字を知りたかったのに、勘違いした日本人に「鉛筆」と答えられ、それをそのままタトゥーとして彫ってしまった、というような外国人の話を、以前に聞いた。知らぬが仏である。

 また、筆者の身近にあった例も紹介する。
 あるとき、私の職場で、部署に新たに配属された人が、その部署特有の専門用語がわからずに、「この人達はすごい人なんだな」と思ったということがあった。それは、しばらく経ってどういう意味かわかると、「なんだ大したことないじゃないか」というような言葉だった。

 さて、ライトノベルにおいても、このような「そのラノベの世界でしか通用しないが、一見かっこよさげな専門用語」というのは、よくあると思う。
 例えば、有名なライトノベルソードアート・オンライン』の世界においても、「フルダイブ」や「ナーヴギア」という、作品を特徴づける用語が登場する。その言葉自体が、作品の世界観を構成する一要素になっている。

 そういう作品独自の用語を覚えると、作品の世界がより身近に感じられ、愛着が湧く。また、このような用語は、それを知っている人と知らない人とを明確に区別するものになる。
 ので、ファンタジー小説などで、独自の世界観を作り込みたい場合や、コアなファンを獲得したいような場合には、そういう作品用語もあった方がよいのかな、と思う。特に、十代の少年がターゲットの場合、なんとなく、あった方がよさそう。
 ただ、多用は禁物だろう。読み手が、たくさんある用語を全て覚えて読んでくれるとは期待しない方がよいだろうし、文章が用語だらけになっては読みづらいだろう。

 一方で、わざわざ「作品用語」を作ることを意識しなくてもよいケースもある、と最近思った。少し専門的な話題が登場する小説であれば、その話題から縁遠い読者にとっては、同じような効果がありそうだからだ。
 これは先日、拙作の短編小説『ジョブ・シフト』を書いていて、ふと思ったことだ。この作品はIT業界を舞台とした都合で、業界の術語を用いることが自然な選択だった。
 本稿の冒頭から述べているような「中二病」効果を得るためだけなら、そこそこの専門知識があれば十分、と言っていいかもしれない。

 一つか二つ、得意な分野があると、小説を書くにはよさそうだ。