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「私」という
中身が詰まった缶がある。

色んな人が
「私」を手に取り、
買い物かごに入れて行く。

素通りする人もいれば、
手に取って
ラベルや成分表示を見た上で
結局、陳列棚に戻す人もいる。

逆に、
ラベルも見ずに買って行く。
そんな人もいる。

 

蓋を開けて、
この中身に触れてみてほしいのだ。
表面をなぞるだけでもいい。

願わくば、
味わってほしいのだ。
どんな味がするのか、
教えてほしいのだ。

他でもない この「私」が、
他でもない 「君」にとって。

底の方まで掻き出して、
「もっと無いの?」
そんな声が聞けたなら
もう、最高。
 
 
なのに、
君は自分の収納棚にしまったら
もう、見ることはないんだね。

だから、
私は ある日こっそり抜け出した。
君はたぶん、気づかないだろう。

「あれ、一個減ってる」
ひょっとしたら そう思うかも。
でも、
私だとはわかるまい。

だって
君にとっては どれも同じ
「一個」にしか過ぎないのだから。

 

フロンティア #詩

遠い 記憶のなか

自宅までの一本道を
あなたと二人
手をつないで 歩いたね

今でも 憶えてる

見上げたあなたは
大きく暖かく
幼い私は
何の不安も抱かなかった
 
 
年月が経って
いつの間にか
その背を越えていた

あなたは もういない
手を引いてくれる人は
ここにはいないから
答えは自分で導かなくては

私が選んだ道だから
 
 
調べても
誰かに聞いても
解決する問題はなくて

考えて
試して
その中から
たった一つを選んで

それを「正解」にしていくんだ

選べなかった他の答えは
もう、過去だから
 
 
明日へ向けて
また一歩

 

 

二人のソリティア #小説

 磯部香織が彼と会うのは二回目だった。SNSで知り合ったその男の本名を、まだ彼女は知らない。SNS同様、<ユラ>という彼のハンドルネームで呼んでいた。
 二人はデパートの上層階にあるレストランに来ていた。<ユラ>が選んだ店だ。味も雰囲気も悪くない。香織はその店が気に入った。
 二人はワインで乾杯した。
 料理が運ばれてくると、香織は真っ先に、スマートフォンで写真を撮った。一方の<ユラ>は、ただ彼女が撮り終えるのを待っていた。
「あなたも、よく写真アップしてるよね」
 香織が言うと、<ユラ>は頷いた。そういえば、と彼女は思いだした。この店の写真も、彼は以前に載せていた気がする。
「ここは一人でもよく来るんだ。女性の場合は難しいだろうけど」
「そんなことないわ」
 <ユラ>の言葉を、香織は否定した。<ユラ>は目を丸くした。
「一人で牛丼でも、ラーメンでも余裕よ」
 香織は言いながら、ワインを一口飲んだ。事実、最近の彼女は、週に二回は一人でラーメンを食べていた。
「てっきり、誰かと行ってるものかと」
 SNSで彼女の食事の写真をよく見ていた<ユラ>は、そう言った。香織は笑って首を振った。

「淋しくない?」
 <ユラ>がそう訊ねた。
 香織は、少々余計なお世話だと思いながらも、それほど不快には感じなかった。
「別に……。もう慣れたわ。家で一人で料理を作って食べる方が、よっぽど淋しい」
 確かに、と<ユラ>は首を縦に振った。
 ワインで酔った香織は、いつになく饒舌になっていた。
「おいしいわよ、一人で食べるご飯も。お腹も膨れるし。でも、心は満たせなかった。だから写真をSNSに上げるの。いいねが付けば、少しは心が満たされた気になるから」
 <ユラ>はもぐもぐとステーキを頬張りながら、二、三度頷いた。
 香織は一度、食事の手を休めた。<ユラ>の目を見て、訊ねる。
「私のあだ名、わかる?」
「――飯テロリスト」
 <ユラ>は間髪入れずに答えた。
「まさか」
「そう、俺もさ」
 意外だった。香織の知る<ユラ>は、料理そのものの写真はほとんどアップしていなかった。別のSNSにでも載せているのだろうか。
 香織には<ユラ>について、気になっていることがあった。彼女は意を決して、訊ねた。
「お一人様検定って知ってる?」
「あぁ」
 <ユラ>は首肯した。
 『お一人様検定』とは、最近インターネットで話題になった、「人目を気にせず一人ぼっちで行動する意志力の強さ」を測り、初段から十段までの段位を付ける診断テストである。
 SNSで見る限り、<ユラ>はとても行動派だ。ドライブ、ゴルフ、山登りと、一体いくつ趣味を持っているのか、不思議に思うほどだ。誰かと一緒だと考えるのが自然で、香織も今日までそう思っていたが、実は一人きりのことが多いのではないか。香織はふと、そう思った。
「段位はどうだった?」
 <ユラ>の答えは、香織の想像を越えていた。
「十段。一人遊園地まで経験済みだ」
「!! ……すごい! 私でさえ、まだ八段だっていうのに」
 八段は、一人回転寿司である。香織は元々、七段の一人居酒屋まで経験済みだったが、先週の金曜、唐突に寿司が食べたくなり、一人で中年サラリーマンの間の椅子に座って、回る寿司を食べていた。
「一人温泉はまだか。あれはいいぞ。都内のホテルなら、ちょっとした贅沢気分が味わえる」
「……今度やってみるわ」
 香織はそう決意した。

 食事を終え、二人は駅に向かって歩いていた。
「私たち、相性いいのかもね」
「そうだな……」
 <ユラ>は、妙にやる気のない相槌を打った。
「また会ってくれる? そうだ! 二人でカラオケに行って、お互い一人カラオケするっていうのはどう?」
 香織は冗談めかして言った。
「いや、会うのはこれきりにしよう」
 <ユラ>の返事は意外なものだった。
「――え?」
 香織は一瞬、耳を疑った。<ユラ>は続けて語った。
「俺たちは、お互いのことがわかりすぎる。独り者同士、付き合ってもどうせ、別々に行動するだけだろう」
 なんとなく筋が通っているようで、それでいて不可解な話だった。
「はぁ」
 香織はぽかんと口を開けて、彼の言葉を聞いていた。独り同士だから付き合うのではないのか。
 彼は頷き、こう言って締めくくった。
「二人とも、別の相手を探したほうがいい。世界にもっと、繋がりができるように」
 香織は、彼が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。が、とにかく、もう会うのはやめよう、と彼女もそう思った。

(終)


 読んでいただき、ありがとうございます。
 Twitter からお越しの方はご存知かもしれませんが、本作は 先日投稿した #twnovelショートショート版となります。#twnovel よりは状況や二人の人物像、関係性を描写できたかと^^;

 作中に出てきた『お一人様検定』は、実は元ネタがあるので、下に紹介しておきます。あなたは何段でしょうか?(笑)

 それではまた、別の作品でお会いしましょう☆

よくわからないことが「かっこいい」と感じる中二病的心理効果について #エッセイ

 後半は、小説を書く身として思った内容になっています。
 読むだけの人も、「こういう見方もあるのか」と思ってもらえるかも。

 気楽にさらっと眺めていただければ、と思います。


 聞いたこともない単語が不思議とかっこよく思えたり、理解できないことを話している人を「すごい」と感じたことはないだろうか。私は、ある。だが、冷静に考えてみると、その感覚は全く合理的ではない。「わからない」ことが必ずしも「すごい」「かっこいい」ことはないのだから。
 このような現象は、一種の「中二病」と言ってよいのではないか。あるとき、そう思った。

 上のように、「よくわからない文言がかっこよく見える」感覚は、私に限ったものではなく、割と一般的なものだろうと思う理由が、いくつかある。
 例えば、日本人は「英語コンプレックス」と聞くことがある。英語を使っているとかっこいい、英語を喋っている人はかっこよく見える。これはたぶん、多くの日本人の心に根付いている感覚ではないか。
 歌謡曲に英語混じりの歌詞が多いのも、こうした日本人の英語コンプレックスが背景にある、という見方もできるのではないだろうか。

 衣服に英語のプリントが施された物もある。その言葉の意味を考えることなく、単に「デザイン」として見て買う人もいるのではないか。
 同じ意味の言葉が日本語の文でプリントされていたらどうか。「買わない」という人も多いのではないか。
 「意味がわからないからよい」そういうこともありそう。

 逆に、外国人に漢字がウケるという話も耳にする。
 「炎」という漢字を知りたかったのに、勘違いした日本人に「鉛筆」と答えられ、それをそのままタトゥーとして彫ってしまった、というような外国人の話を、以前に聞いた。知らぬが仏である。

 また、筆者の身近にあった例も紹介する。
 あるとき、私の職場で、部署に新たに配属された人が、その部署特有の専門用語がわからずに、「この人達はすごい人なんだな」と思ったということがあった。それは、しばらく経ってどういう意味かわかると、「なんだ大したことないじゃないか」というような言葉だった。

 さて、ライトノベルにおいても、このような「そのラノベの世界でしか通用しないが、一見かっこよさげな専門用語」というのは、よくあると思う。
 例えば、有名なライトノベルソードアート・オンライン』の世界においても、「フルダイブ」や「ナーヴギア」という、作品を特徴づける用語が登場する。その言葉自体が、作品の世界観を構成する一要素になっている。

 そういう作品独自の用語を覚えると、作品の世界がより身近に感じられ、愛着が湧く。また、このような用語は、それを知っている人と知らない人とを明確に区別するものになる。
 ので、ファンタジー小説などで、独自の世界観を作り込みたい場合や、コアなファンを獲得したいような場合には、そういう作品用語もあった方がよいのかな、と思う。特に、十代の少年がターゲットの場合、なんとなく、あった方がよさそう。
 ただ、多用は禁物だろう。読み手が、たくさんある用語を全て覚えて読んでくれるとは期待しない方がよいだろうし、文章が用語だらけになっては読みづらいだろう。

 一方で、わざわざ「作品用語」を作ることを意識しなくてもよいケースもある、と最近思った。少し専門的な話題が登場する小説であれば、その話題から縁遠い読者にとっては、同じような効果がありそうだからだ。
 これは先日、拙作の短編小説『ジョブ・シフト』を書いていて、ふと思ったことだ。この作品はIT業界を舞台とした都合で、業界の術語を用いることが自然な選択だった。
 本稿の冒頭から述べているような「中二病」効果を得るためだけなら、そこそこの専門知識があれば十分、と言っていいかもしれない。

 一つか二つ、得意な分野があると、小説を書くにはよさそうだ。

手を伸ばすよ #詩

理不尽は 唐突に襲い来る

誰もが知っている
失われた命が尊いのは
二度と帰らないからと

なのに、

理不尽は 唐突に襲い来る
 
 
どうか
教えてほしい

名前も知らないあなたは
いつから私の「敵」だったのかと
私はどうすれば
あなたの「味方」でいられたのかと

あなたが
私に憎しみを向けようと
私はそれに応えることはしない

あなたにその手を
もう 汚してほしくはないから
 
 
道は 遠く、険しいけれど
せめて 信じたい

いつか あなたとも
手を取り合える日が訪れると

だから
いま 手を伸ばすよ
あなたに届くように

いつか、きっと
そう信じて

いま、
この手を伸ばすよ

 

誰もひとつ処に留まり続けることはできないと #詩

あなたは言う

――私は変わった、と。

確かに、そう。
いつだって私は
誰かが望むように姿を変えてきた

ときには
 手足をもぎ、
 より強い手足と取り換え
ときには
 目をもっとよく見える目と
 脳をもっと早く回る脳と
ためらわず交換してきた

こんなグロテスクな私だから
「変わってない」
なんて言うことはできない

それでも
願うことが許されるなら
信じてほしい

この幹は
変わってないのだと

目を見開いて
焼きつけてほしい

――ほら、胸を開くから

昔と変わらない
私が動いているでしょう?
今も 赤々と

捨てられないんだ、今更。
あなたに不気味だと言われようと
この腕も足も、翼も
 目も耳も、頭も
今や私の一部で
これがなきゃ 私じゃないんだ

どれひとつ欠けても 駄目なんだ

こんな私を
必要としてくれる人がいるから

それじゃ駄目だって言うなら、